親子水入らずで萩・津和野路を散策する
加藤 寛
【1日目@山口市】
金婚を子どもたちで祝ってやろうという話は、「友だちと萩・津和野に前に行った時、父さん母さんに見せたいと思った」という淳君の発案で決まった。初め、東北の紅葉もよかろうと思ったが、今年は暖冬で日程が読めない。それなら、兄の勤務先が宮崎だから西の方がよかろうという事で、決まった。
山陽新幹線にはあまり乗ったことが無いので、山陽路をゆっくり見たいと思っていたが、隧道(トンネル)が多く景色も途切れ途切れで、ゆっくり見ることができない。ずっと山地沿いを走っている感じだ。山の上に見える白い石組みは何かと思ったら集団墓地だったり、東海道沿線とはやはり違う。本四架橋や石油コンビナートの蒸留塔などはよく見えた。行楽の季節でもあり、さぞ遊びにいく人も多かろうと思ったが、思ったよりも少なかった。

新山口で新幹線を降り、乗り換えた山口駅で昼食のつもりだったが、駅の周りには食事ができるような場所は見当たらない。幸い、新幹線で駅弁を買って来ていたのでよかった。駅で長く待って市内観光のバスに乗ったが、乗客は私たち4人と他の客4人の計8人。しかしガイドさんは一所懸命案内をしてくれた。
県政資料館(旧山口県庁舎本館)は広いお庭の中にゆったり建っていて、庭の手入れも見事。旧藩庁門(1864年完成)は宮城の門と同じで、毛利氏の当時の繁栄が偲ばれた。旧県庁舎(1916年完成)も大正時代のものとしては立派だ。山口県からは総理大臣などが大勢出て日本の近世をリードしてくれたのには感心というより驚かされる。韓国や中国との交易などによって学び取った知恵があったのかもしれない。

サビエル記念館は以前にも一人旅で訪れたが、今は見違えるほど斬新な建物になっていた。世界の平和を祈念してローマ教皇から五大陸に1個ずつ贈られた「平和の鐘」があり、誰でも鳴らしてよいということで撞いてみると全く素晴らしい音色で、日本の古寺の鐘とは趣の違う澄んだ音がした。



大内氏の庭園もきれいに整備されていた。五重の塔は、法隆寺などとは異なり重い感じで、飛鳥時代の軽やかな佇まいには劣る感じもした。雪舟の造った庭も見たが、三ケ日の摩訶耶寺の様式と似ていた。以前に訪れたときには雪舟の水墨画が展示されていたが、今度は無くて残念だった。

湯田温泉でホテルに着く前、中原中也記念館が見えたので行くといいなと話しあったが、その後機会が無く、つい訪れるチャンスを失ってしまった。旅では、「後で」と思っているとチャンスを失ってしまう。
松田屋ホテルの部屋は庭に面した一階で、浴室も洗面所も付いており、普通の家のような感じの間取りだった。家族風呂は先着順で、いつでも自由に入れるようになっており、家族4人で背中を流したりしながら、のんびり入ることができた。また珍しいことに、全員分の白い足袋を出してくれ、使ってみると暖かくて気持ちがいいものだった。
朝起床して外を見ると、庭の松の色が普通ではなく明るい。また、庭石や燈籠なども普通の大きさではない。2尺もある鯉が泳ぐ池からは蒸気が立ち、水鳥も来て遊んでいる。小さな滝や温泉を引いた足湯があり、特に薩長の維新の大物志士たちが密議をした東屋がそのまま残っていることには驚かされた。ホテルの資料室には明治維新に関する巻物や絵、刀剣などもあり、感心で心躍る歴史の宿だった。
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ワゴン型のジャンボタクシーから降りると、秋芳洞の入り口までの 400mくらいの間は研磨した石などの土産物の店が所狭しと数珠つながり。


秋芳洞は世界遺産になっただけあって、広さも深さも想像したよりはるかに大きい。しかし、鍾乳石や石筍は思ったより少なく、内部は単純だった。洞の奥にはエレベーターがあって、それで上がるとカルスト地形の見える展望台の下に出る仕組み。展望台から見るカルストの地形は大平原に羊を放し飼いにしたようで、地上の石灰岩にも雨水の浸食の跡がはっきり見える。




次の見学場所は「海上アルプス」こと青海島だったが、ここを2時間、2200円掛けて遊覧するのはいささかもったいない気がした。伊豆の堂ヶ島などと比較して、長石の節理だけでは観光価値は少ない。

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県立萩美術館では「技を極める」という青磁展が開催されていたが、中は閑散としていた。近づいてていねいに見ている人もいたが、あまり面白くないのでそそくさと見学を終えた。
常茂恵は大きな宿で、大廊下からガラス越しに眺める庭には大きな石組み、その周りには細かい白い砂利が敷かれていた。京都では、白い砂利に映る月の明かりを愛でるそうだが、ここでは雑草よけ、あるいは人が立ち入れないようにしてプライバシーの保護に活用しているのかもしれない。料理もおいしくいただいたが、会席料理で品数は多いが量が少なく、本当の味はよくわからない。

まず松陰神社へ行くと、何か催しがあるとみえて盛装した大勢の女性が茶会の準備で忙しそうに右往左往して大賑わい。一歩中に入ると、大きな石碑に「明治維新胎動之地」とある。私たちは戦争中に育ったので、松下村塾と吉田松陰の話はいやというほど聴かされた。大きくなって戦に出たら水漬く屍、草生す屍となろうとも天皇のために尽くせという教えを聴かされた。その松下村塾は二間三間の粗末な家で、米搗き部屋には足踏み式の木臼と杵、書見台と明り取りの窓がある。隣の部屋は講義室で、これも十人くらいで一杯になりそうだ。ここに維新の新しい国造りの情熱が溢れ、創案がなされたことには驚かされた。
松陰の生涯を示した歴史館の蝋人形展示も見ごたえがあった。幼い頃から論語や孟子を学び、自分流に考え、日本の国は天皇を中心に仰ぐ国にしなければならないと思い定める。内政が乱れ、外国からは開国を迫られる中、徳川幕府ではだめだという思想が薩摩や長州に広まり、今でいうクーデターの密議が見つかって何度となく投獄される。牢でも勉強に励み、下田に来たペリーの軍艦で米国への密航を図るが捕えられて死罪となる。その辞世の句が「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」。また、親の気持ちを思いやり「親を思う心にまさる親心今日のおとずれ何ときくらん」という歌も残した。もし松陰がアメリカに行けたなら、その後の日本の歴史はどうなっていたことか。
松下村塾(解説)

萩の東光寺が毛利家の廟所となっているということで行ってみると、やはり女性の団体で大賑わい。一番上に藩主の大きな墓石が並び、その前には武将たちの献燈籠が整然と配置されている。藩主に対する篤い思いと、毛利家の財政の豊かさが偲ばれた。

津和野では、森鴎外記念館を見学した。津和野に生まれた鴎外は10歳で上京し、東大の医学部を卒業。ドイツに留学し帰って日清・日露戦争に軍医部長として参加。軍医の最高位である陸軍軍医総監に登り詰めると共に、文学者としても大きな足跡を残した。展示品には読み物も多かったが、ゆっくり読んでいる暇もなく、もったいないと思いながら読み飛ばした。2回結婚し、子どもの面倒をよく見たこと、遺言で大きな葬式はせず、石見の森林太郎として葬ってくれればいいと指示したこと、軍医と文学者の二足の草鞋を生涯履きとおしたものの故郷津和野に帰ることは無かったこと。
遺言 余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ一切秘密無ク交際シタル友ハ賀古鶴所君ナリ コヽニ死ニ臨ンテ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス 死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ 如何ナル官憲威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得 スト信ス 余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス 宮内省陸軍皆縁故アレド モ生死別ルヽ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス 森林太郎トシテ死セントス 墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス 書ハ中村不折ニ委託シ宮内省陸軍ノ栄 典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ 手続ハソレゾレアルベシ コレ唯一ノ友人ニ云ヒ 残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サス 大正十一年七月六日 森林太郎 言
ガイドさんの案内で昼食に美味しい稲荷寿司を食べ、蒸気機関車山口号の通過を見てから、武家屋敷を拝見した。水路の鯉や家囲いに、当時の武士たちの生活が偲ばれた。
津和野から山口までは山越えの道、山中の農家の生活は戦前の生活を見る感じで、谷沿いの一軒家では家の前に墓が立っていたりする。自給自足に近い生活でもしているのだろうか。慣れた路だろうが、ガイドさんは乗っている我々が心配するくらいビュンビュン飛ばす。しかし、無事予定した時間通りに新山口駅に着き、駅前でお礼を言って別れた。

駅でお茶を飲み土産用の焼き物や水産加工品を買っていると、店員が何をしに萩に来たのかと尋ねるので「保養」と答えたら「うらやましいです」という言葉が返ってきた。旅の間、一回も揉めることなく仲良く楽しくできたことはよかったといって喜んだ。淳君は兄が宮崎に行く下りのホームに弁当を持って見送りに行き、「会えた会えた」といって喜んで帰ってきた。
私達も16:36のひかりに乗り、浜松に20:43着、それからハイヤー30分で家に着いた。こんなに長時間新幹線に乗ったのは珍しいので相当疲れが出るかと思ったが、疲れは全然無かった。思うに、700 系の新幹線は止まる駅も少なく、停車と発車が静かなためだろう。逆に、トイレの周辺などは微振動が激しく、歩いていてヨロヨロした。

伯父さんに「子どもらが結婚50年記念に萩・津和野に只で連れて行ってくれた」と話したら、「お前たちはいい子に恵まれたなぁ」と言われた。他の人達からも「よく親たちに付いていったなぁ」とも言われた。母さんも旅上手で、すぐ弁当を用意し、果物やつまみを必ず途中で出してくれる。案内板を見るのが抜群に早い。不明なことがあればすぐ尋ねてくれる。何か買う時は必ずまけさせる。
今回の旅では、違う日本を垣間見られていろいろ勉強になった。退職した63歳から70歳位までは青春18切符であちこち一人旅を楽しんだが、そのころを思い出す生きた勉強になった。
オマケ:瀋陽(旧奉天)の日本関連建築物など 1日目 2日目 3日目